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歩くロールケーキ、コーギーが4本!

僕のルーツは call -151

on 2011年10月7日

今日、スティーブ・ジョブズ氏がお亡くなりになりました。
56歳、とても早過ぎるサヨナラです。

Steve Jobs, 1955-2011

Apple社CEOティム・クック氏によるiPhone4Sの発表から僅か1日。
いつもの『One more thing…』が無いな、、、と思っていたらこの訃報です。
まったく人を驚かせる事の天才らしい、Rockな幕引きでした。
心よりご冥福をお祈りすると共に、彼の作品、製品に感謝したいと思います。

以降はもう、訳の分からんオタクな駄文です。

僕は中学2年生の時に、はじめて自分のパソコンを買ってもらいました。
それが、当時高嶺の花だったApple][の海賊版でした。

その頃は、今と違って割と著作権の遵守とかその辺が緩やかで、
公然と海賊版が売られていました。通称Appleコンパチ品です。

そのAppleコンパチでは、今までみた事も無い様な素晴らしいゲームが動きました。

RasterBlaster、Choplifter、A.E.、
Castle Wolfenstein、Ultima、Wizardry、RodeRunner...

中でもハマったのは、天才プログラマー Bill Budgeが作った、
『Pinball Construction Set』もう隠れて徹夜しまくりました。

こういったソフトの入手は、パソコンショップに同好の士が集まり、
不正コピーをしまくっていました。(もう時効ということでご容赦!)

割と不正コピーに寛容だった風潮とは裏腹に、
ゲームメーカーは必死で対策をうってくるようになりました。
これが所謂、コピープロテクションという奴です。

ゲームは欲しいけどプロテクションが取れない。
じゃ、皆でプロテクション外そうぜ!みたいな事をするようになりました。
本当にワルですね。

※しかも、場所はPCショップでした。
 吉祥寺のLa○xとか、秋葉原のシ○ペック、お茶の水の、、、忘れた。

最初はコピーしたゲームで遊べるとまぁ、嬉しいし楽しいのですが、
いつのまにかプロテクトを外す方が楽しくなってきちゃいまして。

今でも憶えているのですが、その当時の仲間で苦労していたのが、
broderbund社の Doral(ドロル)ってゲームで、
私が偶然プロテクションを解除できたソフトでした。
もう、最高に嬉しかったのを憶えています。

割と単純なプロテクションだったのですが、
僕のPCは本体からドライブまで、全部コンパチ品。
なぜか僕のPCで読ませると、ロードが終わると、
ある箇所でしばらく止まってしまうのでした。

あとで分かった事なのですが、当時Appleの純正ドライブは、
それはもう粗悪品ともいうべき、精度の悪い作りでした。
なので、読み取りエラーを考慮し、リトライ回数調整やシーク補正など、
現在では考えられない様な補助操作を、アプリケーション側から行っていました。

で、僕のPCはというと、割と精度の良いTEAC製のドライブで、
ちゃんと読みすぎちゃってそれらの補助動作が裏目に出てしまうのでした。
とにかく、初期プログラムを読むとしばらくの間、ちゃんと止まる。
これが良かったのでした。

こういった悪さを憶えるには、多くの場合優秀な先輩がいるもので、
僕の場合は、とあるショップ店員さんでした。
『それ、ロードがおわったら強制的に割り込みかけて、
 メモリーマップに入れば、プログラム読めるじゃね?』

そこからはもう、いわゆるハッキング大会ですよ。
6502のアセンブラ本をボロボロになるまで読みながら、
OSのシステムコールを呼び出す付近を探し、ジャンプアドレスを探し、
それっぽいリトライループを探し、もう訳も分からず色んな事を試しました。

もうよく憶えていないのですが、確かセクター番号を指定した、
変則的な読み取りパターンとか変なトリックがあったと記憶しています。

この時、Apple][のメモリーマップ画面に入るのが、
魔法のコマンド”call-151”だったのです。

とにかく、毎日、毎日、call-151、call-151…

いろんなパターンを取り出しては、
コピーソフトのパラメータをかえてコピー、コピー、コピー。
で、週末お店にあつまって作戦会議。今考えれば、ひどいオタクな中学生でした。

お店では、そういった作戦会議も楽しかったのですが、
本物のApple][が触れるのも楽しみの1つでした。

いいなぁ〜、いつか本物が欲しいな〜、と思っていたその商品こそ、
二人のスティーブがつくったガレージ製PC、Apple][だったのです。

素晴らしいゲームに魅せられ蓋をあけたパソコンの世界。
そこには、沢山のトリックと技術が詰め込まれていました。

毎日まいにち、call-151をたたき、6502のアセンブラ本を読み、
ドライブの回転をだまし、PCやドライブを分解し、時には壊し、
なおし、また壊したら燃えちゃったり。。。

色んな事をしてたら、いつの間にかパソコンが大好きになっていました。
中学、高校と進学する頃には、AppleⅢやⅡGSなんていうマシンも出てきましたし、
いまや伝説のLISA、そしてMachintoshの初期モデルなんかも登場してきました。

でも、当時はお金がなかったので、ず〜っと海賊版を使い続けていました。
ゲームで遊び、プロテクトを外し、ASCII Netなんかでパソコン通信もしましたっけ。

あの頃のいろんなPC遊びがあったおかげで、
IT業界に身を置く、今の私が居るのではないかと思うのです。

僕が持っていたのは確かに偽物のAppleコンパチ機でした。
でも、その中のROMには、ジョブズ、ウォズニャック、二人のスティーブの書いた、
正真正銘のAppleコード(の、コピー)が書き込まれていました。

あの時代、あんな面白いPCは他になかったと思います。
そして、あのPCがあったからこそ、楽しい連中と知り合い、
楽しく、刺激的な時間を過ごす事ができたのでした。

15歳年上のスティーブ・ジョブズ。
彼の功績はさまざまな文献やサイトで、今後も語り継がれて行く事でしょう。

でもそれだけじゃない、彼の作品によりワクワク、ドキドキをもらった人々もまた、
ジョブズの残した偉大な功績なんじゃないかと思います。

あれから20年以上たち、今では銀色に輝く本物のリンゴ製品を手に入れました。
でも心の奥には、七色に輝く憧れのリンゴも残っています。

スティーブ・ジョブズ、楽しい林檎の実をありがとう。
僕はいまでも大切に育てていますよ。どうか安らかにお休みください。


6 Responses to “僕のルーツは call -151”

  1. ブーパパ より:

    自分が一番最初に買ったMacintoshは虹色ロゴでした。
    ローンで買って大変な思いをしました。今は天板に白いロゴのやつです。
    林檎の実がこれからも育つと良いですね…

    • guzuppe より:

      ブーパパさま

      虹色Macは、一度だけ購入を検討した事があったんですよ。
      大学生のときに、Quadraを検討しました。
      結局、研究室のSunのワークステーションが使えたのと、
      PCでLinuxが動くようになり、用が足りちゃったので中止。
      今思えば、買っておけばよかったなぁ。

  2. さち より:

    こんばんは。

    確かに、追記の部分は全く解かりませんでした(スミマセン)。

    でも、iMACがとても綺麗で、欲しいなぁと思ったのは
    覚えています。何に使うのかは不明だったのですが(・・;)

    人をドキドキさせたりできる物を作ったり、やったりする人って
    素晴らしいと思います。

    ジョブズ氏のご冥福をお祈りいたします。

    • guzuppe より:

      さちさま。

      後半はもう、さらっと流してください。
      ジョブズは既存の技術を上手に融合して、
      面白い商品を作り出す天才だったんだと思います。
      惜しい人を亡くしました。
      Apple社はこれからが正念場だと思うのですが、
      きっとまた、沢山のドキドキ商品を出してくれると信じています。

  3. PON より:

    こんばんは。
    ジョブズ氏の遺作は来夏発売される?「iPhone5」との報道が最近されていますね。
    いまだにスマホにしていない私の願いはiPhone5がドコモから発売されることです(^^ゞ。

    ジョブズ氏について詳しくは知らないのですが、あの有名な「スタンフォード大学
    卒業式辞」は初めて聴いた時とても感動しました。
    56歳で亡くなるなんて、あまりにも早すぎましたよね。。。

  4. じいや より:

    PONさま

    こんにちは。
    あの演説は今回の件でとても有名になりましたね。
    改めて観て、ジーンとしてしまいました。
    ジョブズ氏については、レボリューション・イン・ザバレーとか
    来月発売されるご本人認定の自伝を読むと、色々わかるかと思います。

    あまりコチラではニュースになっていませんが、
    ジョブズ氏のすぐ後に、デニス・リッチー博士が他界しました。
    博士はUNIXを開発し、UNIXを作る為にC言語を開発しました。
    ジョブズ氏はどちらかと言えば、既存の技術を上手に組み合わせる人であり、
    リッチー博士はバリバリの開発者です。
    きっと、あっちの世界から大型案件の依頼でもあったのかも知れないですね。
    私たちが虹の橋を渡る頃には、向こうも素晴らしくIT化されていると
    思う事にしました。